柳生地区は、奈良市の東部に位置し、柳生一族が眠る芳徳寺や柳生藩ゆかりの家老屋敷など、たくさんの名所があります。柳生地区は、柳生町、柳生下町、大保町、興ヶ原町、邑地町、丹生町、北野山町の7町からなっており、各町には歴史のある石仏や神社、伝統芸能あり、山里の原風景が色濃く残っている地域です。
・柳生町・・・・・柳生の里の中心地です。旧柳生藩家老屋敷、旧柳生藩陣屋敷跡や一刀石など柳生家ゆかりの史跡が多く残っています。
・柳生下町・・・・町内の北側には阿対地蔵、塚穴古墳といった歴史のある史跡や十兵衛杉、柳生古城、芳徳禅寺といった柳生家ゆかりの史跡が多く残っています。
・大保町・・・・・町内にある八坂神社は、柳生町にある柳生八坂神社の元社です。本殿および能面は、県指定の文化財となっています。打滝川に沿って集落があり、石仏が多数残っています。
・興ヶ原町・・・・・興ヶ原氏は永享年間(1429~41)に伊賀名張からノの地に移ったと伝えられています。興原遠江守助豊の子、若狭守助秀は大和大納言豊臣秀長に仕え、その妹が柳生宗厳に嫁ぎ、宗矩の母となった春桃御前であると伝えられています。町内に興ヶ原城跡が残っています。
・邑地町・・・・・室町時代には興福寺大乗院方衆徒の古市氏の家臣であった「邑地氏」がいた土地です。町内に邑地城跡が残っています。また、水越神社は布目川に接しており、神事芸能が県の指定文化財、社叢(しゃそう)および春日社本殿は奈良市の指定文化財に指定されています。
・丹生町・・・・・柳生氏とともに春日社の荘官を勤める「国民」であった「丹生氏」がいた土地です。町内には2つの古城跡があります。また、丹生神社の本殿は国の重要文化財となっています。丹生町には寺はなく、明治十九年に全村が改宗して、多くの寺を廃しましたが、「三日地蔵」として、地蔵尊が三日ごとに各戸持ち送りで順にまつられる風習が残っています。
・北野山町・・・・柳生地区の南東部に位置しており、布目ダムがあります。